救い
私たちの罪(過ち)が私たちを神様から引き離します。それは私たちが死んだ時、神様と共に天国にいることができないことを意味します。しかし、イエスは私たちの受けるべき罪の報いを自らの身に背負い、十字架の上で死にました。私たちがイエスを信じる時、私たちは救われて永遠の命を得ることができるのです。
(12) この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」エペソ2:8
(8) あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
信仰
神様を信頼し、神様に自信を持つこと。私たちの見ることができない状況を信じること。
恵み
私たちは神様から罰せられるべき存在であるにもかかわらず、神様は私たちを愛し、赦しと癒しを与えてくれる。
罪
神様、または、他の人や自分自身に対しての間違った考え、言動と行動。
(23) すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ロ-マ 6:23
(23) 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
悔い改め
自分自身で決めた道を歩むことから神様の道を歩むことへ改め、私たちの思考と態度を正しい方へ変えること。
(9) 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。
(10) 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
義
神様と正しく良い関係を持つこと。
(22) すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。ヤコブ2:23
(23) そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
祈り
神様との会話。
(5) また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
(6) あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
(7) また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
(8) だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
(9) だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
(10) 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
(11) 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
(12) 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
(13) 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』[国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。]1テサロニケ5:17
(17) 絶えず祈りなさい。
水の洗礼
公の場で水の中に完全に浸かり、イエスを信じることによって自分の内側に起こった変化とクリスチャンになったことを現す。
(38) そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。ロ-マ6:3-4
(3) それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
(4) 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
教会
人々が集まり、互いに励まし合い、一緒に神様を賛美すること。
(20) ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」ヘブル10:25
(25) ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。
三位一体
三つの人格(父、子、聖霊)が一致している状態。神は唯一の神のみ。
復活
イエスは死後、三日目によみがえった。
(1) さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
(2) そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
(3) 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。
(4) ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
(5) それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
(6) 青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
(7) ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい。」
(8) 女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。1コリント15:12-32
(12) ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
(13) もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
(14) そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
(15) それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
(16) もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
(17) そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
(18) そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
(19) もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
(20) しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
(21) というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
(22) すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
(23) しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
(24) それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
(25) キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
(26) 最後の敵である死も滅ぼされます。
(27) 「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
(28) しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
(29) もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。
(30) また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。
(31) 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
(32) もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」ということになるのです。
イースター(復活祭)
通常は3月か4月に行われる。イースターではイエスの死と復活を思い出し、私たちのために神様がしてくれたことを祝う。
(1) イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
(2) 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
(3) そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
(4) イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。
(5) しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。
(6) さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、
(7) ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
(8) 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
(9) この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」
(10) するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。
(11) 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
(12) この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
(13) まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
(14) そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
(15) こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
(16) そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。
(17) さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
(18) イエスは言われた。「都に入って、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう」と言っておられる』と言いなさい。」
(19) そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
(20) さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。
(21) みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
(22) すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。
(23) イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。
(24) 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
(25) すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。
(26) また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
(27) また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
(28) これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
(29) ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
(30) そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。
(31) そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。
(32) しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
(33) すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
(34) イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
(35) ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
(36) それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
(37) それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
(38) そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
(39) それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
(40) それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
(41) 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
(42) イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」
(43) イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。
(44) イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。
(45) それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
(46) 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」
(47) イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
(48) イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ」と言っておいた。
(49) それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で」と言って、口づけした。
(50) イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。
(51) すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
(52) そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
(53) それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
(54) だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
(55) そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえなかったのです。
(56) しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。
(57) イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
(58) しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まで入って行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
(59) さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
(60) 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
(61) 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる』と言いました。」
(62) そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
(63) しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
(64) イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
(65) すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
(66) どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる」と言った。
(67) そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、
(68) こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」
(69) ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」
(70) しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。
(71) そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」
(72) それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。
(73) しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。
(74) すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
(75) そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
(1) さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。
(2) それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
(3) そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
(4) 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言った。
(5) それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。
(6) 祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから」と言った。
(7) 彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。
(8) それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。
(9) そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。
(10) 彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」
(11) さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
(12) しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
(13) そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
(14) それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
(15) ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。
(16) そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕らえられていた。
(17) それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
(18) ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
(19) また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
(20) しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
(21) しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
(22) ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
(23) だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。
(24) そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
(25) すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
(26) そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
(27) それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
(28) そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
(29) それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
(30) また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
(31) こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。
(32) そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。
(33) ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
(34) 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
(35) こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
(36) そこにすわって、イエスの見張りをした。
(37) また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
(38) そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
(39) 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
(40) 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
(41) 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
(42) 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
(43) 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」
(44) イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。
(45) さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
(46) 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(47) すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。
(48) また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
(49) ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう」と言った。{ほかの者が槍を取って、イエスのわき腹を突き刺した。すると、水と血が出て来た。}
(50) そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
(51) すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
(52) また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
(53) そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現われた。
(54) 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。
(55) そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
(56) その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
(57) 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
(58) この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
(59) ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
(60) 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
(61) そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
(62) さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
(63) こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
(64) ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
(65) ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。
(66) そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
(1) さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
(2) すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
(3) その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
(4) 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
(5) すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
(6) ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
(7) ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
(8) そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
(9) すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
(10) すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
(11) 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
(12) そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
(13) こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。
(14) もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
(15) そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
(16) しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
(17) そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
(18) イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
(19) それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
(20) また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
クリスマス
12月25日にイエス・キリストの誕生を祝い、神様が私たちと同じ人として地上に来たことを祝う。
(26) ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
(27) この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
(28) 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。{あなたはどの女よりも祝福された方です。}」
(29) しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
(30) すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
(31) ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
(32) その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
(33) 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
(34) そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
(35) 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
(36) ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
(37) 神にとって不可能なことは一つもありません。」
(38) マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
(39) そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
(40) そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
(41) エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。
(42) そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
(43) 私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。
(44) ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
(45) 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
(46) マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
(47) わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
(48) 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
(49) 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、
(50) そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
(51) 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
(52) 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
(53) 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
(54) 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。
(55) 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
(56) マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。
(57) さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
(58) 近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。
(59) さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
(60) 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」と言った。
(61) 彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言った。
(62) そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。
(63) すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。
(64) すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
(65) そして、近所の人々はみな恐れた。さらにこれらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った。
(66) 聞いた人々はみな、それを心にとどめて、「いったいこの子は何になるのでしょう」と言った。主の御手が彼とともにあったからである。
(67) さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
(68) 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、
(69) 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
(70) 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。
(71) この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
(72) 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、
(73) われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
(74) われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
(76) 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、
(77) 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
(78) これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
(79) 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」
(80) さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。
ルカ 2:1-40
(1) そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
(2) これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
(3) それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
(4) ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
(5) 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
(6) ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
(7) 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(8) さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
(9) すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
(10) 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
(11) きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
(12) あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
(13) すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
(14) 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
(15) 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
(16) そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
(17) それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
(18) それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
(19) しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
(20) 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
(21) 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
(22) さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
(23) ――それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった――
(24) また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
(25) そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
(26) また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
(27) 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。
(28) すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
(29) 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
(30) 私の目があなたの御救いを見たからです。
(31) 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
(32) 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
(33) 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。
(34) また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
(35) 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」
(36) また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
(37) その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
(38) ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
(39) さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。
(40) 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。
クリスチャン
イエス・キリストに従う者。
(1) 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。
伝道
イエスの福音を人々に伝え、イエスが私たちのためにしてくれた素晴らしいことを知らせること。
(18) イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
(19) それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
(20) また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」