信仰とは、目には見えないことが起こるという聖霊から与えられる気づきです。聖書ではこのように書いてあります。
「信仰」(神とイエスの「忠実さ」によって生まれた関係と神の約束に対しての私たちの信頼)とは、私たち人間が望んでいることを現実にするものであり、神が約束している未だ目にしていないもの全てを保証するものである。
「信仰の父」
聖書では、アブラハムのことを「信仰の父」と呼んでいます。彼は、神様から沢山の国民の父となると約束されました。アブラハムと妻にとって、子どもを産むことは不可能なように思えたにも関わらず、彼は神様がその約束を全うしてくれると信じることを選びました。
アブラハムは、私たちにとっても素晴らしい模範です!彼の信仰について読みましょう。
神は、信仰の父・アブラハムと彼の子孫たちに全世界を与えるという約束をした。しかし、神はなぜそんな約束をしたのか、分かるか?アブラハムが神の掟に従ったからではない!それは、ただ神を信頼し、神に信仰を置くことによって、アブラハムを正しい者として神は受け入れたのだ。(14)こうして神の人々は、アブラハムが受けた同じ約束を自分のものにすることが出来るのだ。自分の力で神の約束を受けとれるなら、信仰の意味がなくなる。つまり、アブラハムにした神の約束が無意味なものだということになるのだ。(15)私がこう言ったのは、神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りが下されるのがオチだからだ。なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。しかし、掟がなければ、神に従わない者たちがいても誰も有罪になることはない。(16)そう!人々はみな、神に信仰を持つことで神の約束を得られるのだ!この様に、神が約束したその祝福を私たちは無償の贈り物として受け取ることが出来る。こうして、アブラハムの人々はその祝福を味わい、間違いなく喜ぶのだ!その祝福の約束は、ただモーセの律法に従っている者たちに与えられるのではなく、アブラハムの様に信仰を神に置いた者たち全員が受け取るのだ。だからこそ、アブラハムは私たちの父なのだ。(17)「神はアブラハムを多くの国民の父とされた」——【創世記17:5より引用】この約束を聞いたアブラハムは、神を信じ、神に信仰を置いたのだ。彼こそ死人にいのちを吹き込み、命令ひとつで常識をひっくり返す神だ。(18)普通に考えれば誰もアブラハムに将来子供ができるという希望を持つことが出来なかっただろう。しかし、その現実を押しのけてアブラハムは神に信仰を置いたのだ。そして、その希望を持ち続けたのだ。だからこそ、アブラハムは多くの国の父となったのだ。その時、神はアブラハムにこう言った。「お前は多くの子孫を得るだろう」——【創世記15:5より引用】(19)この時アブラハムは既に100歳近くになっていた。子供が出来る年齢はとっくに過ぎていたということだ。しかも、妻のサラの適齢期は遠い昔に過ぎていた。だからこそ、アブラハムはその現実を、すなわち子供なんか出来っこないということを知っていたのだ。しかし、彼が神に対して持っていたその信仰は決して弱ることがなかった。(20)少しも疑うことなく、ひたすら神を信じ、その確信と信頼はますます強くなっていった。その約束が実現する前から、約束が叶うことを感謝し、神を讃えるほどだった。(21)神がした約束ならどんなことでも実現すると堅く信じていたのだ。
ロ-マ 4:13 ERV訳
神は、信仰の父・アブラハムと彼の子孫たちに全世界を与えるという約束をした。しかし、神はなぜそんな約束をしたのか、分かるか?アブラハムが神の掟に従ったからではない!それは、ただ神を信頼し、神に信仰を置くことによって、アブラハムを正しい者として神は受け入れたのだ。
ロ-マ 4:18 ERV訳
普通に考えれば誰もアブラハムに将来子供ができるという希望を持つことが出来なかっただろう。しかし、その現実を押しのけてアブラハムは神に信仰を置いたのだ。そして、その希望を持ち続けたのだ。だからこそ、アブラハムは多くの国の父となったのだ。その時、神はアブラハムにこう言った。「お前は多くの子孫を得るだろう」——【創世記15:5より引用】
どの様にしてアブラハムはこの約束を受け取ることができましたか?
この時アブラハムは既に100歳近くになっていた。子供が出来る年齢はとっくに過ぎていたということだ。しかも、妻のサラの適齢期は遠い昔に過ぎていた。だからこそ、アブラハムはその現実を、すなわち子供なんか出来っこないということを知っていたのだ。しかし、彼が神に対して持っていたその信仰は決して弱ることがなかった。
アブラハムとサラの身体の状態はどうでしたか?
この時アブラハムは既に100歳近くになっていた。子供が出来る年齢はとっくに過ぎていたということだ。しかも、妻のサラの適齢期は遠い昔に過ぎていた。だからこそ、アブラハムはその現実を、すなわち子供なんか出来っこないということを知っていたのだ。しかし、彼が神に対して持っていたその信仰は決して弱ることがなかった。(20)少しも疑うことなく、ひたすら神を信じ、その確信と信頼はますます強くなっていった。その約束が実現する前から、約束が叶うことを感謝し、神を讃えるほどだった。(21)神がした約束ならどんなことでも実現すると堅く信じていたのだ。
アブラハムは自分たちの現状をどのように捉えましたか?
このストーリーは信仰について何を教えてくれますか?
信仰について
信仰は最高な知らせを聞くことからスタートする。誰かがキリストを伝えて初めて最高な知らせを耳にできるのだ。
信仰はどのように受け取ることができますか?
要するに、神は恵みによってあなた達を救ってくれたということだ。それが起きたのは、あなた達が神を信頼したからである。自分自身で救ったのではない。全ては神からのプレゼントなのだ。(9)あなたがした行動によって救われたのではない。だからこそ、救いについてあなた達は何1つ自分自身を自慢することは出来ないはずだ。
救いはどのように受け取ることができますか?
掟は誰一人として神の前で正しいものとはされない。これは明確に聖書に書かれている。「信仰によって神に正しいものとされた人は生きる」——【ハバクク書2:4より引用】
正しい人は何によって生きますか?
あなた達は自分の意志でイエス・キリストを王として受け入れた。だから、何があろうと今までどおり彼に従っていくのだ!(7)イエスを土台石にしなければならない。つまりイエス中心の人生を描き、イエスをあらゆる力の源にするのだ。神への感謝が止やまぬよう、教わったとおりに本物の信仰の理解を持ちあわせ、強くたくましく成長していくのだ。
私たちの信仰はどのように強められますか?
ヨハネ 10:37-38 ERV訳
もし、わたしのお父さんがしていることをわたしがしていないのなら、わたしの言うことを信じるな。(38)だが、もしわたしがお父さんの意志を実行しているなら、わたしのすることを信じるべきだ。わたしを信じられなくとも、わたしがなすことを信じるべきだ。そうすれば、お父さんがわたしの中にいて、わたしがお父さんの中にいることが理解できるだろう!」
ヨハネ 14:11-12 ERV訳
お父さんの中に俺がいて、俺の中にお父さんがいると俺が言うのだから、それを信じろ!これで物足りないなら、俺が見せた奇跡を思えば信じられるはずだ。(12)確実にこう言える!俺を信じる者は誰でも、俺と同じ奇跡を行なうばかりか、それ以上の奇跡さえ行う!俺がお父さんのもとに行くからだ。
奇跡は天の父さんに栄光をもたらし、私たちの信仰を高めてくれるべきものです。 どのような奇跡があなたの信仰を高めましたか?
しかし、これに対してある者はこんな反論をするだろう。「ある人には信じるという役割が与えられていて、またある人には良い働きをするという役割が与えられているのだ」と・・・それに対しての私の答えはこうだ。行いなしで信仰は語れない。しかし、私の信仰は行いが物語っている。
信仰にぴったりな仲間はなんですか?
兄弟、姉妹のみなさん。そっちは問題だらけかな?それなら喜ぶんだ!この先も困難が待ち受けているだろう!(3)知っているだろうが、神への信仰を試される時にこそ、あなた達は困難の中で忍耐が鍛えられるのだ。(4)逃げ出さず、雑草魂を燃やすなら、その根は成長し、芯の通った人格者になることができる!この姿こそ、神が望んでいる姿なのだ。
信仰の試練は何を高めますか?
聞く
以前にあったその勇気を絶対に手放すな!あなたの勇気は後に豊かな報いとして帰ってくる!(36)耐え抜きなさい!もしあなた達が神の望んでいることをするのなら、神は必ずあなたに約束を果たしてくれるだろう!(37)「もうじき、直ぐにも、ある方がやって来る。その方は時間通りにやって来て、遅れることは決してない!(38)わたしの良き仕える者(正しい者)は、忠実さと共に生きるだろう。しかし、わたしから恐怖をもって退き、離れていく者には、喜びを持たない!」——【ハバクク書2:3-4より引用】(39)私たちは後ろに下がる者たちでもなければ、破壊される者たちでもない!違う!私たちは信仰によって生き、救われている者たちなのだ!!!
神様は聖書からのことばや約束を与えてくれましたか?
耐え抜きなさい!もしあなた達が神の望んでいることをするのなら、神は必ずあなたに約束を果たしてくれるだろう!
神様の約束を受け取るためには何をする必要がありますか?
実践
個人的に私はどのように信仰を高めることができますか?
祈ろう!
イエス様、あなたの本物であることばをありがとう。あなたからの約束を握りしめ、偉大な力でその約束を実現してくれるっていうことを信じます。
覚えよう!
「信仰」(神とイエスの「忠実さ」によって生まれた関係と神の約束に対しての私たちの信頼)とは、私たち人間が望んでいることを現実にするものであり、神が約束している未だ目にしていないもの全てを保証するものである。