神様の優先順位
神様は失われた人々を最優先にします。神様の願いは、全ての人が探し出されて神様と交わりを持つようになることです。イエスがこの地上に来たのは、私たちを含め失われた人々を救うためです。そして、イエスは私たちにその偉大な目的のためのパートナーになって欲しいと願っているのです。
失われた羊と失われた人々
(25) あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
私たちはどのように失われていましたか?
(34) イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。
人々はどのように失われていたましたか?
失われた人々への神様の心
ルカ 15:1-7
(1) さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
(2) すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」
(3) そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
(4) 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
(5) 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
(6) 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
(7) あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
ルカ 15:20-32
(20) こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
(21) 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
(22) ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
(23) そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
(24) この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
(25) ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。
(26) それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
(27) しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
(28) すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
(29) しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
(30) それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
(31) 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
(32) だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
神様にとって失われた人々がどれだけ大切ですか?
(9) イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
(10) 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
イエスはなぜ地上に来たのでしょうか?
(31) そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
(32) わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
イエスはどんな人々のために来ましたか?
失われた人々への私たちの心
(19) 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
(20) ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
(21) 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
(22) 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
(23) 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
パウロはなぜ他の人々と関係を持とうとしたのですか?
(1) 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
(2) 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
(3) もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
他の人々が救われるために、パウロは何をあきらめようとしましたか?
(14) しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
失われた人々を救うために、私たちにできることは何でしょうか?
友達に聞こう
どのようにしてあなたは「救われ」ましたか?
あなたを救うために神様は何をしてくれましたか?
あなたがクリスチャンになるために周りの人達はどんなことをしてくれましたか?
実践
失われた人々を優先的に救うことが神様の思いであるということが理解できるように祈りましょう。まだ救われていない3人の人たちのために毎日祈って下さい。祈りは聞かれます。そして神様はあなたが友達に伝道できるように助けてくれます。
神様があなたの心に置いてくれた3人のために毎日祈る習慣を作ってください。
今週、人々に伝道するために何か新しいことを一つしてください。
祈ろう!
主イエス様、私を探し出して救ってくれたあなたの愛に感謝します。あなたが望むことを私の最優先としますから、多くの人々に伝道するために私を用いてください。
覚えよう!
「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」