聖書で記されている信じる人たちの復活の例は、モーセとエリヤが、イエスとペテロとヤコブとヨハネの前に栄光に満ちた輝かしい姿で現れたところです。モーセとエリヤが、イエスの去る日のことを話していると、イエスは弟子たちの目の前で変わりはじめた。そのためモーセとエリヤは、復活した身体を受け取ったので、彼らは最初に復活した人たちとして数えられています。
(28) これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。
(29) 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。
(30) しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、
(31) 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
復活の順番は何?
1コリント15:20-24
(20) しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
(21) というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
(22) すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
(23) しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
(24) それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
黙示録1:5
(5) また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
イエスは何の最初でしたか?
ルカ9:30-31
(30) しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、
(31) 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
マタイ27:52-53
(52) また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
(53) そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現われた。
他に復活した身体で人前に現れた人はいますか?
(13) 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
(14) 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
(15) 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
(16) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
(17) 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
これはいつ起きますか?誰がイエスと一緒に引き上げられますか?
(11) また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
(12) また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
(13) 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
(14) それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
(15) いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
最後の審判のときに、イエスを信じなかった人たちには何が起こりますか?
死はどうなりますか?
復活はいつ起こる?
a)
(13) 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
(14) 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
(15) 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
(16) 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
(17) 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
いつ?
b)
1ヨハネ3:2
(2) 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
1コリント15:51-53
(51) 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
(52) 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
(53) 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
どれくらい早く?
復活した私たちの身体はどんな感じ?
(14) 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
(15) イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
(16) イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
(17) イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
どうやってイエスの身体的な容姿が変わったことが分かりますか?
(38) すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
(39) わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
(40) {イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。}
(41) それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
(42) それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
(43) イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
どうしてイエスが本当に実際の身体を持っていたということが分かりますか?
(44) さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
(45) そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
(46) こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
(47) その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
(48) あなたがたは、これらのことの証人です。
(49) さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
どうしてイエスは、まだ目的意識を持っていたということがわかりますか?
(35) ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
(36) 愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
(37) あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
(38) しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。
(39) すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。
(40) また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
(41) 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
(42) 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
(43) 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
(44) 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
復活した身体は、私たちの現在の身体より、どのように良いのですか?
埋葬の方法は影響する?
(19) あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
私たちの身体が土に戻るなら、火葬はそのプロセスをただ早めるだけです。
これらの真理は私たちの人生にどう影響を与えるべき?
(3) キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
(11) というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、
(12) 私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
(13) 祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。
(10) 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
(11) どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
(12) 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
(13) 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
(14) キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
(9) 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
(10) 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
(11) ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
聞く
信じる人たちの復活について、何か質問はありますか?
実践
復活について理解したところで、この真理は人生にどう影響しますか?
祈ろう!
イエス様、私も復活できることをありがとう。あなたの復活の力が、信じる人たちにも与えられることをありがとう。
覚えよう!
「俺が、蘇りであり、生命(いのち)だ。俺を信じる者は、たとえ死んでも、生き返る。」