的を外す
罪の本来の意味は、アーチェリーなどの競技において「的を外す」という意味です。聖書には、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)と書いてあります。罪とは、私たちの思いやりのない自分勝手な間違った考えや言動を指すのです。
罪との戦い
ロ-マ 7:18-21
(18) 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
(19) 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
(20) もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
(21) そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
なぜ私たちは罪を犯してしまうのでしょうか?
マタイ5:21-30
(21) 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
(22) しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって{理由なくして}腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
(23) だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
(24) 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
(25) あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
(26) まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。
(27) 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
(28) しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
(29) もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
(30) もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
イエスは罪についてどのように言っていますか?
どんなことが罪になるのでしょうか?
罪の結果
ロ-マ 6:23
(23) 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ガラテヤ6:7-8
(7) 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
(8) 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
罪はどのような方法で私たちの生活に影響を与えるのでしょうか?(霊的、人間関係、永遠の命などについて考えてみましょう。)
罪に打ち勝つ
私たちはどのようにして罪に打ち勝つことができるのでしょうか?
ロ-マ 8:1-2
(1) こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
(2) なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
1ヨハネ 1:9
(9) もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
ヤコブ 5:16
(16) ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
ロ-マ 12:1-2
(1) そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
(2) この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
友達に聞こう
罪に打ち勝った時のことを話し合ってください。
罪について他に何か質問はありますか?
祈る時に、神様が私たちの心を探り、罪が私たちの生活に与える影響について示してくれるように祈りましょう。神様は私たちの罪を赦し、罪が招いた結果から私たちを救い、癒すことができる力強い方です。
実践
詩篇 32
(1) 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
(2) 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
(3) 私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
(4) それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ
(5) 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
(6) それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
(7) あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ
(8) わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
(9) あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。
(10) 悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。
(11) 正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。
ダビデが罪に対してどのように対処し、神様の赦しを体験したのかを知りましょう。
祈ろう!
主イエス様、私の罪の代償を払うために死んでくれたこと、そして私の罪を赦してくれたことを感謝します。あなたに喜ばれる聖い生活を送れるように助けてください。
覚えよう!
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」