的を外す
罪の本来の意味は、アーチェリーなどの競技において「的を外す」という意味です。聖書には、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)と書いてあります。罪とは、私たちの思いやりのない自分勝手な間違った考えや言動を指すのです。
罪との戦い
そう。私自身の中に良いものはない。それが私の人間的な弱さだ!正しいことをしたいのに、私はそれをしない。(19)良いことをしたい!と思っても、それをしないでしたくない悪いことをしてしまう。(20)だから、もし私が自分のしたくないことをしているのであれば、それをしているのは私ではないと言える!つまり私に住みついている過ちの力がそうさせるということだ。(21)そう!私が掟について学んだことはこうだ!掟が命じて良いことをしたいと思う時、悪もそこに潜んでいるということだ。
なぜ私たちは罪を犯してしまうのでしょうか?
先祖に授けられた掟はこうだ。『人を殺すな、殺せば誰であれ罰せられる』(22)だが、わたしはこう言おう。誰に対しても怒りを抱くな。怒りを抱くなら罰せられる。誹謗中傷をするのなら、裁きの場で罰せられる。呪うなら、地獄の炎に投げ込まれる。(23)では、神に供え物を捧げている時に自分の過ちが原因で誰かから敵意を持たれていることを思い出したらどうする?(24)供え物などは後で良い!とっとと謝って仲直りすることが先だ!供え物はそれからだ。(25)告訴されたら、いち早く和解しろ!裁判まで時間がないのなら、裁判所へ向かう道中でさえ和解に努めろ!裁判が始まってからじゃ遅い。裁判官に引き渡され、警察に引き渡され、それから牢屋へ投げ込まれて終わりだ。(26)罰を償いきるまで・・・つまり、全財産を失うまでそこから出られることはないだろう。(27)また、神の掟には『姦淫してはならない』つまり、結婚相手以外と性交渉をしてはならないとある。(28)だが、わたしはこう言おう。みだらな思いで女性を見るのなら、その時点で姦淫だ!(29)右目が過ちを犯すのであればえぐり取ってしまえ!何も失わずに地獄へ行くより、一部を失った方がまだましだ!(30)利き手が過ちを犯すのか?なら切り落とせ!五体満足で地獄へ行くより、一部を失った方がまだましだ!
イエスは罪についてどのように言っていますか?
どんなことが罪になるのでしょうか?
罪の結果
ロ-マ 6:23 ERV訳
人が過ちを犯す時、人はその代価を死によって償う。しかし神は私たちの王であるイエス・キリストをとおして無償で永遠のいのちを与えてくれるのだ!
ガラテヤ 6:7-8 ERV訳
もし神をバカにできるなら、それはあなた自身をバカにしていることになる。人は蒔いた種をそのまま刈り取るからだ。(8)人間の野望で満たされた人生を歩みたいと願うなら、そこから得られる収穫は完全な破壊である。しかし、聖霊に喜ばれるような生き方を選ぶなら、あなた達が得られる収穫は永遠のいのちだ。
罪はどのような方法で私たちの生活に影響を与えるのでしょうか?(霊的、人間関係、永遠の命などについて考えてみましょう。)
罪に打ち勝つ
私たちはどのようにして罪に打ち勝つことができるのでしょうか?
こういうわけで、今は、キリスト・イエスに属する人が罪の宣告を受けることはありません。(2)なぜなら、いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。
しかし、心の闇に漂う間違いや、過ちを正直に告白し、光に照らされるなら、神は約束どおりに私たちの過ちを赦ゆるし、その闇から解放してくれる。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
愛する皆さん。そういうわけですから、あなたがたにお願いします。あなたがたの体を、神に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてささげてください。それが神への礼拝となるのです。(2)この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。
友達に聞こう
罪に打ち勝った時のことを話し合ってください。
罪について他に何か質問はありますか?
祈る時に、神様が私たちの心を探り、罪が私たちの生活に与える影響について示してくれるように祈りましょう。神様は私たちの罪を赦し、罪が招いた結果から私たちを救い、癒すことができる力強い方です。
実践
(1-2)罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。罪がすっかり消された喜びは、どれほど大きいことでしょう。罪を告白し、その記録を消し去ってもらった人は、どれほど解放感を味わうことでしょう。
(3)私には、罪を認めたくない時がありました。しかし、私はかえってみじめになり、くる日もくる日も挫折感にとらわれて過ごしました。
(4)神の御手が、いつも重くのしかかっていました。私の力は、強烈な日ざしの照りつける水たまりのように干上がりました。
(5)とうとう私は、自分の罪を神の前にさらけ出さざるをえませんでした。「何もかも主にお話ししよう」と決心したのです。すると、あなたは赦してくださいました。私の罪は跡形もなく消えたのです。
(6)私は神を信じる人々に、自分の罪に気づいたら、まだ赦される間に神に告白しなさいと、大声で忠告します。そうすれば、その人はさばきを免れるのです。
(7)この人生に、どんな嵐が吹き寄せようと、私は神のもとに避難します。そこでは勝利の歌が響き、苦しみに巻き込まれることがないからです。
(8)主はこう言われます。わたしはあなたを教え、最善の人生へと導こう。助言を与えて、一歩一歩を見守ろう。
(9)くつわをはめなければ言うことを聞かない、馬やらばのようになってはいけない。
(10)悪者どもは次々と悲しみに見舞われますが、主に信頼する人は無限の愛に包まれます。
(11)ですから、神のものとなっている人々は喜びなさい。神に従おうとする人々は、喜びの声を上げなさい。
ダビデが罪に対してどのように対処し、神様の赦しを体験したのかを知りましょう。
祈ろう!
主イエス様、私の罪の代償を払うために死んでくれたこと、そして私の罪を赦してくれたことを感謝します。あなたに喜ばれる聖い生活を送れるように助けてください。
覚えよう!
「人が過ちを犯す時、人はその代価を死によって償う。しかし神は私たちの王であるイエス・キリストをとおして無償で永遠のいのちを与えてくれるのだ!」